外国旅行をするための外国語学習におけるゴール
時間がない人向け
以下記事で私の言いたい事の95%が書かれている。
外国語学習にゴールなんてありません
外国語学習というのは,ゲームに例えるとエンドレスモード。
ゴールがないRPG。
外国語学習って、どうぶつの森みたいなものだろうか?
どうぶつの森っていうゲームは,ゴールが無く,ただゲームの中の世界をブラブラするだけのゲーム。
もしくはテトリスのエンドレスモードと似ている。
テトリスをプレイする前にエンドレスにすると、ゲームオーバーになるまで延々とテトリミノを置くことになる。
ある程度テトリスが上手い人だと,電池切れとかスリープ忘れ以外では永遠にゲームオーバーにならなくなる。
じゃあ外国語勉強するのは無駄なの?
外国語学習って,明確な終わりが無いのよね。
「ここまで外国語ができるようになったらゴール!!」なんて言語ありませんよね?
じゃあ外国語はゴールが無いから勉強しないのか?
ノンノン~
ゴールするかしないかの0か1で決めつけると外国語学習ができなくなるよ。
外国語学習に限らず,ほかの分野でも言える事。
ゴールが見えないと自分の努力に対してどれくらい結果に結びついているかわからないよね?
語学をギターに例えてみました
例えばギターも外国語学習と同じだろう。
単純に「ギターを弾けるようになりたい」というゴールを掲げてギターを始めたとする。
最初の内はギターを弾くことが楽しい。上達が目に見えて楽しい。
しかし,ある程度ギターが上手くなると,自分のギター技術の成長が感じにくくなる。
そうするうちに「ああ、なかなかうまくならない・・・。ギターに飽きたわ」って思ってやめてしまう人が大半だろう。
ギターを続けられる人っていうのは,本当にギターが好きな人。
ギターが好きな人っていうのは、ギターが「好き」という「才能」を持っている人だと思う。
語学を格闘ゲームでたとえてみました
格闘ゲームのウメハラさんも同じだろう。
ウメハラさんが格闘ゲーム世界一になったのはなぜ?
一番の原動力は格闘ゲームが「好き」だったからではないだろうか?
語学マニアが持つ「才能」
私のような語学マニア は、外国語学習が好き,外国語を読むのがワクワクする人。
だから外国語学習をなぜかわからないけど続けている。
私は言語が「好き」という「才能」を持っている人間だと自覚している。
(まぁ,人によってそれぞれ異なる「才能」を持っているから,「才能」を持っているから威張れるものではないが・・・)
語学に対する「才能」が無い人
でも,語学に対する「才能」が無い人は外国語学習に対してどういう感情を抱くのだろうか?
「英語すらできないのにほかの外国語なんでマジ無理~」
「複数言語しゃべれる人って・・・信じられん・・・」
そう言う人に限って外国語学習をするという「努力」をしていないのよね。
外国語学習をする「努力」が嫌になる原因の一つとして,「ゴール」をはっきり決めていないからだと思う。
ボーリングなどにおける「ゴール」
ボーリングは楽しいよね?なぜ?
ボールを転がしてピンを倒す。その倒れたピンの数がすぐにわかる。
また,今までのスコアがテレビ画面に出てくるから自分の進捗が分かる。
アミューズメントが楽しいのは「ゴール」がはっきりしているから?
ボーリング等のアミューズメントゲームというのは,「ゴール」があらかじめユーザに対して明確化されている。
だからユーザは「ゴール」に向かって頑張れる。
そして「ゴール」にたどり着けたときの達成感を味わい,また同じゲームをやりたくなる。その繰り返し・・・・
人間っていうのは,目標がないと行動しない生き物だなぁって思う
外国語学習のゴールって何よ?
語学においてはボーリングみたいにほかの人や機械からゴールが明確に与えられているわけではない。
だから語学における「ハッキリとしたゴール」は自分で決めろ!
私の外国語学習のゴール
私の場合,フランスとフィンランドに行くから,フランス語とフィランド語を勉強している。
しかし,フィンランドに行くからフィンランド語を勉強する,じゃあゴールが曖昧すぎる
前述のギターに例えると,「ギターを弾けるようになってモテモテになるお!!」と同じレベル。
私の外国語学習のゴールは以下。(フィンランド語の場合)
「フィンランド旅行に直結した単語を覚えることによって,現地で必要な物があった時にフィンランド人にすぐに伝えられる状態にする」
語学のゴールをすらすら書ける俺は一般人から見たら気持ち悪いだろうけど・・・
ゴールを決めるならば5W1H
5W1Hって,自己啓発本とかでよく出てくる単語。
言いたいことは「曖昧にするな!!」だよね~
ゴールをはっきり決めたければ,5W1Hで考えろ!
とはいっても,外国旅行程度の趣味ならビジネス的に厳密に考えなくてもいいが・・・
少なくとも「何を(What)」と「どういう状態にする(How)」の2つは決める。
「いつまで(When)」は,外国旅行の場合,航空券予約しちゃえば自動で決まるから不要
「なぜ(Why)」は,単に外国に行きたいからなので,不要
「どこで(Where)」は,フランス,フィンランドとはっきり決めているので不用
「誰が(Who)」は自分だけなので今更考えなくていい。友達いないし
「何」を「どういう状態にする」ことによって,「結果」どうなるのか?
をはっきりさせれば自分の外国語学習の努力がそのまま結果に結びつくことが分かり語学が楽しくなるよ。
「何」を「どういう状態にする」の例
ギターにおけるゴールをはっきり決めるならば,
「ギターの~~を■■することによって△△ができるようになる。」
外国旅行における語学のゴールをはっきり決めるならば,
「フィンランド語の~~を■■することによって,△△ができるようになる」
私の外国語学習のゴールをもう一度示す。
「フィンランド旅行に直結した単語を覚えることによって,現地で必要な物があった時にフィンランド人にすぐに伝えられる状態にする」
なんかビジネスっぽい堅苦しい表現だなぁ・・・・
しかし,趣味であってもゴールははっきり決めたほうが楽しい。
何故なら自分の努力がそのまま自分の設定した結果に結びつくとわかるから!!
ゴールを決めました。ハイ終わり!!じゃあありません
ゴールはあくまでも頭の中で描いた想像上の自分。
想像上の自分を現実の自分に転送するためには誰もが嫌な努力をしないといけない。
具体的にどんな努力をすればいいのだろうか?
私のゴール
「フィンランド旅行に直結した単語を覚えることによって,現地で必要な物があった時にフィンランド人にすぐに伝えられる状態にする」
まず,「何」に注目する。
何?・・・フィンランド旅行に直結した単語
次に,「どうする」に注目
どうする?・・・覚える
フィンランド旅行に直結した単語は,フィンランド旅行会話の本を購入すればすぐわかる。
それを覚えるために単語カード作ったり何度も音読したりいろいろな覚える手段を試す。
しかしゴールを達成するために覚えるってしんどくない?
そういうゴールを達成するためにどんな努力をすればいいのかを自分で「考える」こと自体も楽しいのではなかろうか?
フィンランド語の単語を覚えるために,TOEICみたいな語学検定があれば受ける・・・
すると,TOEICは、ゴールを達成するための「手段」として捉えることがデキルよね?
ゴールを決めたら,ゴールを達成するための手段を考えろ!
手段は自分で考えろ!!わからなければggれ!
手段を考える力はすでに小学校や中学校で学んできたはず。
この記事を読むほどの日本語能力を身に着けていれば、日本語で論理的に考える力はあるはず。だから手段なんて自分で考えれるはず
手段はあくまでも「使い捨て道具」
手段は1つに固執しなくてもいい。
手段というのは,ゴールに近づくための道具に過ぎない。
だから手段は複数個あってもいい。
ある手段が自分に合わないとわかったら、その手段は捨ててしまってもいい。
とにかくまずは色々な手段を自分で試してみる。
色々手段を試すうちに自分があっている手段が見つかるハズ。
フィンランド語の単語を覚えるためには・・・
私はフィンランド語の単語を覚えるために最初は多読を試した。
しかしこれだと単語自体が覚えれなくて旅行時にパッとフィンランド語の単語が出なくて困る!!
なので原始的ではあるが単語カードに切り替えた。
単語カードに書くのは,自分が覚えたい単語だけ。
自分が不要だと判断した単語は全部捨てる。覚えない
また,ネットでAnkiという学習アプリがあったのでそれも試してみた。
アプリもいいけど,ネットサーフィンとかの誘惑に負けちゃうから自分には合わないかなぁ・・・
とまぁ,自分で色々手段を試すと自分のフィンランド語学習をどんどん最適なものに近づけることができる。
そして外国語の勉強方法はずっと一定ではない。
外国語の勉強方法は常に変わっていくものだと思う。
人間はずっと同じことをやっていると飽きる
だから私は外国語学習に変化をつけることを意識している。
そういう外国語学習の自己管理をするようになると、生きるのが楽しくなる。
自分の人生が充実しているように思えてくる。
せっかく生きているんだから努力も楽しまないとね!!
あの・・・外国語学習って三日坊主にならない?
三日坊主になる?
よろしい,ならば以下の記事を参考にしなさい
今度こそ、続けよう→3日坊主にさよならする技術 読書猿Classic: between / beyond readers
三日坊主になるっていのは,そもそも「ゴール」が自分にとって本当にやりたい事ではないから。
本当にやりたい事ならそのために時間を犠牲にしても何の苦にもならない。
やりたくない事だと,時間を犠牲にするのが苦痛だよね?例えば仕事が当てはまる。
三日坊主になること自体は悪くない。
私も語学に対して三日坊主になったことは何度もあるからヘーキヘーキ
三日坊主になった教訓を生かして,新しいゴールを決めるときに,本当に自分がやりたいことなのかなぁ・・・って問いかけるといい。
語学で三日坊主になっちゃったらどうすればいい?
外国語学習に3日坊主になってしまった場合は,以下2つの対処策が考えられる。
1.「ゴール」のハードルを下げる
2.別のゴールを作る
1.「ゴール」のハードルを下げる
私が以前に持っていたフィンランド語学習におけるゴールは以下
「フィンランドに行ってフィンランド語でかかれている文字を読める状態にする」
・・・・フィンランド語の文字を読める・・・?
仮に95%フィンランド語の文字を読める状態にするとなると,単語はどれくらい覚えないといけない・・・?
なので,ゴールを達成するための数値は「フィンランド語の単語を5000語覚える」としましょう
フィンランド語は英語やフランス語のような言語とは全く別の言語グループであるため,単語が非常に覚えにくい。
(↑多言語学習者じゃないと理解できない文章)
「differenze linguistiche」のネタ画像で,ドイツ語の単語だけ独特!!という表現が多いが,フィンランド語も結構ネタにされている。(あと、アイスランド語も)
different language - Google 検索
フィンランドの国旗は「白」に十字の「青」
アイスランドの国旗は「青」に十字の「赤」
私はフィンランドに行きたい。だからフィンランド語を勉強している。
だけど,単語を5000語覚えても旅行で果たして全部使うかどうか・・・
そもそもフィンランドに行ったことが無いのにいきなり高度なフィンランド語を扱うシーンはあるのか?
ゴールがあまりにも遠すぎて,外国語学習にたいする成果が感じられない・・・
だからフィンランド語の勉強が嫌になって一時的にフィンランド語学習を止めました。
原因はゴールのハードルを上げ過ぎて自分の首を絞めていた。そんだけ
初めてフィンランドに行くならば単語は旅行で必要最低限でいいや~
実際にフィンランドへ行って,フィンランドが気に入ったら,帰国した後でもっとフィンランド語を勉強すればいいや~
というゴールに切り替えました。
結果としてはフィンランド語の単語を500語(も必要ない気がする・・・)覚えるだけで充分ゴールに達成できることが分かり,フィンランド語学習のモチベーションが上がった
2.別のゴールを作る
あーもうフィンランド語勉強イヤー
という人向け
そもそも外国旅行に「言語」は必要なのだろうか?
例えばフィンランドでトイレに行きたい場面があったとする。
フィンランド語では「ミッサ オン ヴェッサ」でとりあえず通じるらしい。
(実際にフィンランド人にその言葉を言ったことが無いので伝わるかは保証しない)
しかし,フィンランドでは,英語も通じる。
だからトイレに行きたいという意思を伝えたいのであれば別にフィンランド語じゃなくても英語で言えばいい。
「アイ ワンツー ゴーツー トイレット」って言いやぁ通じるんじゃね?
英語もわからなければ自分の手を股間に充てて足をバタバタさせるジェスチャーをフィンランド人に見せる。
フィンランド人は「あ、この変な中国人,トイレに行きたいんだな」って思うハズ
人間のコミュニケーションは,言語的と非言語的の2種類ある。
言語的っていうのは,日本語とか英語を使って意思を伝えるもの
それに対して非言語的っていうのは、言語以外,例えば表情とか身振りで意思を伝えるもの
面白いことに,なんと言語的コミュニケーションよりも非言語コミュニケーションのほうが相手に伝わる割合が大きい。非言語コミュニケーションで95%伝わる。
言語的コミュニケーションは5%しか通じないとか・・・
なので,簡単な意図を伝える場合は言語化するよりも身振りとか絵にかいてとにかく言語を使わないで別の方法で一生懸命伝えようと努力すりゃあ通じる。
フィンランド語を勉強するっていうのは,あくまでも「短い時間で,簡単に伝えるための道具」にすぎない。
要は,言語はスムーズに伝えるための手段。
しかし、外国旅行に行って,相手にすぐに伝わらなきゃ!!という場面はほぼ無い。
日本人なんて,フィンランド人から見たら外国人だから,「あ~外人さんか~。話す時間かかりそうだな~」って思われているはず。
外国旅行に行く人っていうのは,「すぐに伝わらない状況」も楽しみたいという気持ちを持っているのではなかろうか?
「すぐに伝わらなきゃ嫌」というのであれば外国旅行ではなくて国内旅行に行った方がいいんじゃない?
外国でトラブルがあった場合はすぐに伝えないとヤバイのだが,言語よりもトラブルに遭った時の表情とか身振りで相手に伝わる。
というかトラブルに遭うとパニックになって頭の中では母語しか考えられなくなる。
だから結局は片言のフィンランド語よりも日本語でガンガン言ったほうが伝わる。
例えば「おつりが違う!!」っていうケースになった場合・・・
フィンランド語を知らなくても,日本語で「おつり違うよ!!」って言いながら何度もおつりに指させば通じる。それでも通じなかったら紙に金額計算式を書けばいい。
めんどくさい外国人だなぁ・・って思われてもいいじゃないか。
だって外国人だもの
そう考えると,フィンランド旅行に行くだけならフィンランド語を全くしゃべれなくても困らないよね?
そういう「ゴール」そのものを変えてしまうのも1つの手段だと思う。
外国語学習が嫌なのなら,語学に充てる時間を別の事に充てたほうがよっぽとまし。
フィンランドに行くだけなら,ネットで飛行機とホテル予約すりゃあ完了だし
まとめ
外国語学習そのものにゴールはない。
だからゴールは具体的に自分で決めましょう。
ゲームでたとえると縛りプレイをするようなものか。
ゴールは頭の中で考えるのではなくて、一度紙に書いたりツィートするなりして一度言語化しておくといい。
ゴールがはっきりしてくるから。
ゴールを決めたらそれに対して努力をする。
努力の手段は無数にあるからいろいろ試す。
そしてその手段を続けろ!!(重要)
もし,努力が嫌になったら,ゴール設定そのものが間違っていないか調べる。
ゴール設定をもう一度書き出して,じっくり考えてみる。
あ~そのゴールって,自分には必要ないなぁ・・・ってわかったらどんどんゴールのハードルを下げる
ハードルを下げていって,「あ、これくらいならできそうだなぁ・・・」と楽しくなったら,そのゴールで努力を続けていく。
目標を達成することができたら,新たに上のゴールを作るか,または別のゴールを設定するか?(要は別の外国語を勉強する)
ゴールを達成することそのものが大切ではないと思う。
ゴールは達成できなくてもいいと思う。
ゴールを決めるなんてビジネス,仕事的な事やらなくても・・・
って考えているあなた!!
ゴールを設定するっていうのは,人生を楽しむ「手段」と捉えてみてはいかがでしょうか?
人間は目標が無いと行動しない生き物ですから。
「おなかが空いた。何か食べたい」という刺激がなければずっとベットで寝ているのが人間だよね?
お わ り