TOEICって手段が目的になっている良い例じゃね?
TOEIC関連のブログは,「目的が手段になっていない?」と,会社の頭の硬い偉い人から指摘されそうだなぁ・・・
でも,私は,手段が目的になることを批判しているわけではない。私から見て,「ああ、この人は手段が目的になってしまっているなぁ・・」と感じるだけです。
例が以下。
えっと・・・TOEIC700点の壁を超えたらどうなるの?
(TOEIC700点を取る目的は?)
TOEIC700点を持つこと自体に何の作用もないんだが・・・?
(TOEIC700点をとることは手段の一部じゃない?)
テスト形式の点数ばかり上げて何になるの
TOEICの問題を作る協会さんの英語の好みを知ることが目的になっていない?
なお,私もTOEICを一回だけ遊びで受けたことあるけど,拷問に近かった・・・
問題数多いからマジで英語で死ぬかと思った。
もう二度とTOEICで苦行なんかやりたくないとおもった。
まぁ,TOEIC一回だけ受けて英語の苦行ができて楽しい思い出にはなりました。
TOEICって,英語の苦行っていう楽しい経験になるから,TOEIC受けたことが無くてTOEIC批判しまくっている人は一度受けてみるといいよ。楽しい思い出になるし,TOEICに対する広い見方ができるようになるよ。
なお,自慢ではあるが,私はTOEICはほぼノー勉強で一発で500点程度取れました。
(「自慢ではないけど・・・」っていう謙虚な表現は他人から見るとムカつくよね?)
でもTOEIC500点って,なんの意味があるんだろう?
余談だが,私は英語以外の言語を学んで世界を広げることを楽しむことを目的としている。その手段として,今は古典ギリシャ語の勉強をダラダラやっている。むろん英語の勉強なぞやっていない。
んで,古典ギリシャ語は,英語と違ってマイナーな言語の為,原書なぞ簡単に手に入らない。古典ギリシャ語の日本語対訳本なんてめったにないし,自分の興味のある日本語対訳本なんか世の中に存在しない。キリストの聖書日本語対訳本なんか読みたくないお・・・
私は数学関連の分野のお話が好きだ。ギリシャは昔は数学分野ですごい活躍したらしい。ネットでggってみると,古代ギリシャ数学に関するお話が古典ギリシャ語と英語の対訳で書かれた本がある。その本の詳細は以下のサイトに示す。
本のタイトル
「Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid (Loeb Classical Library)」
古典ギリシャ語と英語対訳本の内容イメージ
私は古典ギリシャ語だけで数学の話を理解するのは今の私の古典ギリシャ語レベルではほぼ無理。まだ冠詞(the),接続詞(and),関係詞(that,whick,etc...),be動詞,古典ギリシャ語で頻出の語彙(God,fate,life,soul等)を覚えた程度。
※古典ギリシャ語では英語の「God(神)」を意味するθεός [テオス]っていう単語がよく出てきます。
私の古典ギリシャ語力が低いから日本対訳本がほしいお・・・・って思っても,そんな本なんて日本に売っていない。だから,古典ギリシャ語の英語対訳に頼らざるを得ない状況になっている。 私は本当は英語なんか読みたくないんだお・・・・。
でも,英語を先に読むと,古典ギリシャ語の内容も理解できる部分が増える!!やったね!!英語を読むと,古典ギリシャ語の「時制」とか「数」とかもおまけに理解できる。
だから「英語って古典ギリシャ語を読むのに便利なツールじゃない!!」って思ったの
なお,英語には「性」の概念がほとんど失われているため,古典ギリシャ語の「男性,女性,中性」は英語を読んでも理解できないけど・・・・
でも,これが英語を古典ギリシャ語を楽しく読む手段として使う出番なんですよ!!
TOEICノー勉で一発で500点程度取れるレベルの英語力が有れば,古典ギリシャ語と英語の対訳の本が辞書なしでもなんとか読める,たまに出る英語の専門用語はネットでggれば「ホー。こんな定理だったのか!!」って理解が深められる実力。
私は古典ギリシャ語と英語の対訳本がなんとか読める程度の英語力を持っている。
というか古典ギリシャ語は完全無視して英語だけでも図形を見て,紙に数式書きながら読めばどうにか理解できそうな位英文は簡単に書かれている。
(理系分野の英語ってわかりやすい表現を使っているよね。)
だから,私はこれ以上英語力を伸ばさなくても十分だなと判断し,英語なぞ一切勉強していない。
あくまでも古典ギリシャ語を理解するためのツールとして使っている。
これが私の「英語の使い方」である。
読者は英語をどのように使っているのだろうか?
TOEICに対して勉強に熱中している日本人向けに突っ込みをしたサイト
【上記ブログを三行でまとめると以下】
あなたは以下の内,二つのどっちの考え方で英語を勉強していますか?
①「偽物の英語力を伸ばしたいの?」
②「本物の英語力を伸ばしたいの?」
一方,目的の手段化を擁護(?)しているサイト
【三行で】
目的と手段の逆転ということは実は全ての行為について起こっている
全ての行為は、ある人から見たら手段であり、他の人にとっては目的
あらゆることを目的化するのはより崇高な生き方のように思える(カントの哲学的解釈)
外国語学習に限らず,何かの趣味に熱中している人の参考になれば幸いである。
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