趣味で語学検定試験は定期的に受けない方がいい
世界には,英語とか中国語とか韓国語とか,色々な言語がある。
日本では,言語取得のレベルを見える化するために語学試験が用意されている。
英検とか中国語検定とかハングル検定とかね。
外国語を学習している日本人のほとんどは語学検定を受けた経験があるのではないだろうか?
私も語学検定を何度も受けた。
今は語学検定は受けなくなり,自分の語学力アピールとか自分の語学力の定量的評価とかどーでも良くなりました。
すると,「あれ?語学検定なんていらないんじゃねwwww」と思うようになった。
語学検定っていうのは,本来は自分の語学力を他人に認めてもらうために存在しているものだと思う。
別の例でたとえると,飛行機のパイロット。
パイロットの人は飛行機を飛ばす技術がある。しかし,パイロットの人が「私は飛行機を飛ばす技術があります。だからパイロットの仕事をさせてください!」と言ってもJALとかANAとかの航空会社は信用されない。
でも「パイロット」の免許が履歴書に書かれているだけで航空会社は,「ああ,この人は飛行機を飛ばす技術があるんだな。まぁ採用の最低ラインは突破しているな。」と判断できる。
免許っていうのは,免許を取るだけで,ほかの人から「この人は○○の能力がある」と判断してもらえる。
つまりは,免許を取ることは「他の人から認めてもらうためのツール」であると私は考えている。
語学検定でも同じ。通訳の仕事を応募するとき,通訳会社から,「あなたは本当に翻訳する技術がありますか?」と聞かれて「あります!!」と答えても信用されない。
なぜなら,「あります!!」と答えるだけなら,だれでもできる。しかし、翻訳の技術を身に着けることは非常に困難である。難しい技術である。
試しに翻訳実技をさせてもいいけど、本当に翻訳のレベルに達しているか面接官は判断が難しい。
そのために,外国語の技術を測るツールとして語学検定の○級というランクを設けている。英検1級と2級では英語力に差があることは誰でも承知のことである。
そういう検定を受けることで,就活の面では有利な方向に働く。
だから,就活して仕事を得て「金を得る」目的であれば,語学検定を受けることを私は批判しない。
一方,100%金に結び付かない目的で外国語を学んでいる人もいると思う。
例えば外国旅行とか,外国の本を読むためとか,外国の人とチャットするためとか,韓流スターに韓国語で書いたファンレターを送るとか・・・
要は「楽しむ」目的で外国語を学ぶ人がいる。
そういう人も語学検定を受けていると思う。私も趣味の一環で語学検定を受けたことがある。
しかし,趣味で外国語を学んでいる人が語学検定を受ける事に意味はあるのだろうか?
語学試験の結果,合格して取得した免許「例:英検○級とか」自体は,全く意味をなさない。金にもならない。
まぁ,語学試験関連の免許があれば,知人に「俺,ハングル検定2級持っているんだぞ。SUGEEEEE!!」って自慢できるツールにはなると思います。
私は仕事ではなくて100%趣味で外国語を勉強している。
私が現在,楽しく学習している外国語は古典ギリシャ語と韓国語である。前はラテン語、ロシア語,中国語も勉強した。
でもね・・・英語でもない,死語になっている古典ギリシャ語とかラテン語とかのマイナーな言語なんて仕事のどこで使うのさ・・・?
だから実用性なんてほぼ100%無い。金にもならない。
でも外国語を知る事は楽しい。さらに,外国語を用いて新しい事を学ぶことも楽しい。だから私は外国語を学んでいる。
要は,語学を趣味で学んでいる人は,「外国語が読める」「外国語で新たな情報,知識を得る」 ことを楽しんでいると思う。
外国語を学ぶ過程で語学検定を受ける事に意味はあるのか?
意味があるとすれば,外国語の力を伸ばすとか,今の自分の外国語の実力を客観的に知ること,(あとは他の人やネットで俺の語学力を自慢するとか・・・)
ネットでggると以下のようなサイトがある。
まぁ「おしえて○○系」のサイトは質問や回答のレベルが低いから真に受けるべきではないが・・・
語学試験に向けて勉強する過程で,確かに語学の力は伸びると思う。
でも,本来の外国語学習は「楽しむ」ものであったはず。
語学試験を受けたことのある私が言うけど,語学試験を継続的に受け続けていると,外国語を学ぶ目的が「楽しむ」であったはずが「外国語を伸ばす」目的になってしまう。
要は外国語を学ぶ目的そのものが手段になってしまうってこと!!
まー,仕事じゃないし,趣味だから目的そのものが手段になっても楽しければ結果オーライだが・・・
でもね・・・目的が知らず知らずのうちに手段になって,それが長く続くと、気づかないうちに外国語を学ぶことが嫌になって外国語学習をやめてしまう。
まぁ趣味なんだから飽きたら外国語学習なんて投げ捨ててもいいんだけど・・・・
でも,私の外国語学習の失敗の経験から,語学試験は趣味で受けない事を推奨する。
大きな理由は,
「自分の語学力低下に対する恐怖を持ってしまう」
点である。
例えば中国語検定は一年に3回実施される。3月,6月,11月だったはず。(1級のみ一年に一回)
私はかつては中国語検定を定期的に受験していた。しかし,一年前から中国語学習のどこかで「プツン」って糸が切れたように燃え尽きて,中国語検定を受けなくなった。
原因は何だったのか?
中国語の勉強そのものが嫌になったのか?
中国語の勉強が嫌になった原因を今考えてみると・・・・
私は今まで中国語検定を受けてきて,だんだん試験の点数が上がってきて合格できるようになった。そしてどんどん上の級の合格を目指していった。
その一方で,試験結果の点数が全然伸びていないとか、前よりも点数が下がってショックを受けたことがある。「俺は試験に向けて毎日休まずに勉強したのになんで点数あ前よりも悪いんだよ・・・。クソが!!」ってストレスになった。
・・・あのー語学試験の点数と自分自身が持つ外国語運用能力はあまり関係ないんだけどー?
試験っていうのは,試験独特のテクニックがある。なので試験のテクニックばかり身に着けても外国語の本が読めるとは限らない。逆もしかり。
極端な例で言うと,日本人が外国人向けの日本語能力検定1級を受けたとする。日本人なら当然100点取れるよね???
だが,実際は日本人でも100点とるのはたぶん難しいと思う。なぜなら日本語能力検定1級の問題の中には,日本人すらほとんど使わない日本語表現が試験問題として出る場合があると思う。
英語検定で言うとTOEICがある。
TOEICを英語圏のネイティブの人が受けても,全員が990点満点を取れないらしい。日本人はTOEIC満点を取れる人がいるのにネイティブは満点を取れない人がいるの・・・?おかしいだろ!!って思うけど,本当らしい。
TOEICで満点を取る人は,たぶんネイティブですら使わないマニアックな英語知識を身に着けているのだろうか?
日本語能力検定1級を100点で合格した外国人も,たぶん「試験に出てくるマニアックな日本語もマスターしている」と思う。
マニアックで日本人すら使わない日本語なんて覚えてどうするの・・・?
良い例が漢検準一級,一級の問題文だろう。
漢検準一級以上では例えば以下の問題が出るらしい。
【〈辣韮〉食して口を拭う】...............らっきょう
(悪事や欠点の一部を隠して、全体を隠しきれてないこと。)
俺は「らっきょう」っていう日本語は知っているけど,「らっきょう」を用いた諺なんて知らないぞ・・・・。どこで見るの????ってなる
多分文学的な小説とかには出てくる表現だから,文学好きな人は覚えるべき表現だとは思う。
でも私は文学に全く興味が無いから覚えても一生そんな表現に巡り会わないと思う。
要は,自分にとって必要な語学知識でないものは覚える必要が無いってこと。
外国語はあくまでも理解するためのツール!!
外国語というツールそのものを磨くことを目的にしてしまうと覚えるまでのストレスがたまるし,ただの人生の時間の無駄になる。
だから,語学検定で100点取るとか,それ自体に意味はないと思う。
だって外国語なんて所詮はツールとして「理解できればいい」ものなんだから。
なので,試験結果が合格であろうが,不合格であろうが,前回よりも点数が下がろうが趣味として外国語を学んでいる立場の人から見ればなんのデメリットもないはず。
外国語を学び続けても試験の点数が上がらない人の原因は単に試験に特化した知識をつけていないだけ。これは悪い例のように見えるけど,私からみると,いい例に見える。
だって,外国語を学んで、自分に必要な表現を覚えたら,自分が外国語に触れることを通してほしい情報がどんどん入っていく。それでいいじゃない?
試験向けの知識をつけなくたっていいじゃない?
試験に向けての知識をつける目的で外国語を学ぶっていうのは,自分の好みよりも、試験問題を作成した協会の嗜好に反映されちゃうじゃん!
もっと酷い言い方をすると,外国語試験を何度も受けて100点を目指すようなマニアの人は単に試験を作っている人と同じ嗜好に合わせて、同じレールの上を歩いているだけにすぎないんじゃないかな?
そもそも人生って他人と全く同じレールを歩くものじゃない!!
自分の人生は自分で好きなように歩くべきなの!!そっちの方が自由で楽しいじゃない??
私は外国語学習を通して「他の人に認めてもらう」「そのために試験協会のレールの上を歩く」ことが嫌になってきた。
だから語学試験なんか受けなくなった。金にもならないし,他人の人生なんか歩きたくない!!ついでに言うと,語学試験の料金高いよね・・・。試験受けるなら過去問を買ったほうがずっと安い!!
むしろ,語学試験を受け続けることによる「自分の語学力低下に対する恐怖を持ってしまう」ことが馬鹿馬鹿しくない???って思っちゃう。
外国語を楽しく学んでいるのに,試験で点数がはっきり出てしまうせいで,前の試験よりも点数を下げられない!!点数が下がっちゃぁダメだ!!っていう焦りで無理やり自分の外国語を伸ばそうとする。しかし,努力しても結果は点数が伸びない・・・むしろ下がった・・・・
努力は必ずしも報われないものだと思う。自分が努力したって,その努力している方向が間違っていないかどうかの判断は試験を受けて初めて分かること。じゃあ,その努力している方向が間違っちゃぁイカんのか??
努力する方向を語学試験の問題を作る人に合わせないとだめなのか?
努力する方向を合わせるために自分の好きな努力のやり方を放棄しないとだめなのか?
語学試験で点数を下げないために嫌々ながら自分の外国語のベクトルを語学試験の協会の人に合わせてしまう。そして嫌々努力をして試験を受ける。なのに試験結果が悪くなった・・・・。んで理不尽さのあまりキレる。
趣味として外国語をやっていたはずなのに,「キレないために外国語をやる」ことになる。
それなら語学試験なんて始めっから受けないほうがいいじゃん!!
以上の理由で,私は趣味として外国語を学ぶなら、語学試験は定期的に受けなくていいと思います。
まぁ実力試しに試験に向けての勉強は一切しないでぶっつけ本番で受けて「あー楽しかったー。当分は受けたくないわー」程度の軽い気持ちで語学試験を受けることを楽しむのはアリだと思う。
お わ り