外国語学習の楽しみ方

 

まぁ,楽しく外国語勉強できりゃ苦労しないわな・・・・


多くの人は外国語学習が苦痛に思っているから
本屋とかではよく

「一週間で話せる英語」
「TOEIC730点スコアアップ」
「英語に○○は不要!!」
「日本人がよく間違える英語」
「英語でよむ○○」

が売られているんですね。
買う人がいるから本屋さんに並べているんですよね。
日本人煽られすぎwwwww

 


私は英語伸ばしたいって思わないから
そんな本買わないけど


話はそれるが,
私はラテン語勉強しているけど,
使っているオンライン辞書はこれ
http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/Lexis/Latin/
ラテン語→英語

いちおうラテン語→日本語のオンライン辞書もある
自分の尊敬するラテン語学習者山下太郎さんのブログについているオンライン辞書
ラテン語の意味が母国語で理解できる!!素晴らしい!!
でも著作権とか大丈夫なのか???

・・・・だが,登録単語数が4000語程度と貧弱。

なので,英語,ラテン語のオンライン辞書を仕方なく使っている。
で,ラテン語の単語意味調べるときにどうしても英語の力が必要になる
・・・が,ラテン語の英語の意味が分からない場合はそれコピペしてggれば一発。
なのでちょっとメンドクサイが,困ったことはない。

※困るのはラテン語の格変化とか動詞の活用が複雑すぎて,
 調べる対象の単語がみつからない場合のほうが多い。これも慣れ(ry

 

なので,ぶっちゃけいうと
英語ができなくてもほかの言語は学べるってこと

 

話を戻す。

そもそも楽しく外国語を学ぶって何だろう?
私はテトリスというゲームを楽しくやってテトリスの技術を学んできた。
いっぽう,同じ落ちゲーである「ぷよぷよ」はやっても楽しくなかった。
だから私はぷよぷよに関する技術はほぼ素人に近い

私のぷよぷよ力は,えっと3,4連鎖組めれば「イヤッホオオオオ」っていうレベル。
5,6連鎖が来たら「ラッキー連鎖」って思ってしまうレベル

まぁ、とにかく私はぷよぷよを楽しめなかった。
だからぷよぷよの技術は全くない

でも生活上では困らない。
だってぷよぷよはゲームの世界だもん

 

一方,私がテトリスをやったら一般人から見ると気持ち悪がられる。
しまいには「意味わからん」というほめ言葉をもらうレベル。
「なんだあのグルグルってwwww」とも言われました。

そこまでテトリスが強くなれたのは,テトリスを楽しんでやってきて7,8年になるから。
でも、生活上では役に立ったことはない。
だってテトリスはゲームの世界だもん

 


これは外国語勉強でも同じことが言えるのではないだろうか?

外国語ができても、できなくても,日本に住んでいる限りは,
特殊な事象が無い限り,全く影響はない
だって日本国の使用言語は日本語だもん。
たまに英語表記とかあるけど,読めなくても困らない。単にカッコいいから英語で書いているだけ。

英語とかだったら,TOEICとかで点数が高ければほかの人から「英語できるんだー!すごいねー!」って褒められることで欲求を満たせるツールになるだろうけど・・・

 

そういうメリットなしで,役に立たないのに外国語ができる人っていうのは
外国語を学ぶことが楽しいからだろうね。

外国語学習はゲームと同じ。
楽しいからやる。つまらないからやらない。そんだけ

 

 

なので,「外国語の楽しみ方」の答えを見つけようとすること自体が変かな?
だって私の場合,面白くないぷよぷよを楽しもうと自己暗示をかけて苦しみながらやったって上達しないし

外国語だって,無理に楽しもうとして嫌々勉強しても上達しないじゃん。

 

楽しむっていうのは,無理して楽しもうと思い込むのではなく
気づいたらいつの間にかやっているものだから。

 

俺の場合は,暇なときはなぜか外国語の本を開いてペンでがりがり書き込んで
気が付いたら外国語の本びっしり書き込みがある。
それほかの人が見たら絶対ひくわーって言われそう

そういう行為は自分でやろう!!って思ったからやったのではなく,
自然とやってしまった結果。別に苦労した覚えはない。

 

人によって,楽しめることは違う。
十人十色っていうやつか。

 

今このブログを読んでいるような人だって,
何も考えず今やっていることそのものが楽しんでいることのはず。
(学校とか仕事は除いて)

 

だからね,
「外国語学習の楽しみ方」に関して結論を言っちゃうと,

自分の欲求に逆らってまで外国語勉強しているんだったらさっさとやめて自分の好きな事やれ!!!


しか言葉は返せない。


私自身,外国語学習を楽しんでるって思っていない。
だって外国語学習楽しんでいたらそんなブログ書かないし。

私の場合,外国語学習にも波があって,とっても楽しいときは休日12時間以上勉強することもあるし,逆に気分が乗らない時は休日一日1時間しかやらない時もあるし。
でもこの4年間で,一日中外国語を勉強しなかった日はなかった。
やっぱり外国語に触れないと落ち着かないのだろう?

 

ほかの人から自分の趣味をしつこく聞かれたら仕方なく「外国語学習」って答える。
するとほかの人の反応は必ず「すごい」としか返ってこない。


自分は褒められたいから外国語学習をやってきたわけではない。
最初の頃は褒められたいあまり,外国語試験勉強を頑張っていたけど、
今ではどうでもよくなった。試験受けに行くのがめんどくさくなってきた・・・

 

私は,私の趣味を「すごい」と言ってくる人をすごいと思っている。
だってその人も私には楽しくないと思うことでも楽しめるんだから。


私は外国語学習以外で楽しめる事があまりない。

ほかの人との会話が楽しめない。
テレビ見てもつまらないから見ない。ニコニコは面白いけど
飲み会も嫌い。
遊園地とかのアミューズメントとかも行ったけど面白くない
ボーリングやっても面白くない
外に遊びに行くっていってもどこに行って何を楽しめばいいのだろう・・・?
だから外国旅行とかもいかない。
外国語勉強しているのに・・・って思うかもしれないが
言語を学ぶのと,外国に行くのとは全く別問題だと思う。


私はそういう大衆的な娯楽に対して「楽しい」という感情が持てない。
大衆的なことに対して楽しいっていう感情を持ちたいと私は思っている
でもなかなかできない

そもそも「楽しまなければ!!」という理性的な感情を持つこと自体が,楽しむことを否定していることになる

 

だからね,
自分で「楽しい」っておもうことは簡単に変えられない。

だから外国語学習を楽しめない人は無理してやらなくていい。
自分の楽しい事だけやればいい。仕事以外でね。

 

私はたまたま「外国語学習」を苦痛と思わない感情を持っている。
でも人生の役には立たない。だからとくにすごいわけでもない。
むしろ,私は大衆的な事に対して楽しいという感情を持ちたいと思っている。

 

 

人生はほかの人から褒められたり,評価されるのがすべてではない。
ほかの人からの評価に依存して生きると,それは自分の人生でなくなってしまう。
自分が死ぬとき,ほかの人からの評価すべてが全く無意味の偽物のものだったって気づくはず。


一方,ほかの人の評価を全く聞き入れず,自分の道を歩くっていうのもむずかしいんだよな。
そうすると,自分で楽しいって思えることはいったい何だろう・・・と哲学的に考えてしまう。
漫画のHUNTER×HUNTERのアリ編の王のセリフ

  「朕は一体何のために生まれてきたのだろう」
   ※中文版だと「朕究竟为何而生」

のコマがすごい印象に残っている。背景が無くて,ただ王がぽつんと立っている。
あれに私は心を激しく動かされた。まさしく私の事を言っているみたい。

 

自分の場合,ほかの人からの評価なんて気にするのが面倒になってきたんだけど
ちょっとは気にしてだまされたと思ってほかの人が導いてきたレールの上を歩いてみて
それで楽しい事が見つければもうけものっておもうことにしよう

 

そもそもほかの人と話す機会は無いから
本屋さんへ行って自分は絶対買わないような大衆的な本でも買って読んでみようか。