「もしなんでも願いがかなうとしたら~」を語学的に考えてみた

 

も~しもなんでも願いがかなうとしたら~

おぬしに3つの願いを叶えてあげよう・・・・

 

 

っていう話が童話とか漫画,ゲームに多いよね。

 

 

・・・まぁ,「願い」は結局は本人の努力なのよね,っていう物語オチが多い

 

 

さて,世の中の語学マニアがもし,「なんでも願いがかなうとしたら~」という状況になったとき,なんて考えると思う?

 

 

「人類が使われてきた言語が流暢に使える脳がほしい!!」

 

って思うのかなぁ?

少なくとも,私はそう考えないなぁ。

 

だって,私が語学好きなのは,

「外国語が分からないけど,どういう意味なんだろうって解読する」

のが面白いからなんだよね

 

じゃなかったら,翻訳サイトとか,はじめっから外国語をマスター(笑)している脳みそを買えばいいだけの話。

 

実際,翻訳ツールの技術も上がってきて,将来は英語が不要になるとかなんとか・・・

 

仮に翻訳ツールが一般に普及したとしても私は外国語学習を続ける。

 

「外国語が分からないけど,なんとか解読してやる!!」っていうスポーツマン心で外国語学習している。

 

だから暇な時間はコツコツ外国語を勉強している。

一般人には理解できない趣味なんだろうけど・・・・

 

だから,語学マニアとしては,願いなんて「叶えてもらわなくていいです

自分の努力で外国語が読めるといる願いを叶えます!!

 

 

童話のフランス語版を読んでいると、よく「三つの願いをかなえてあげよう」っていう話が出てきたので,書いてみました。

 

 お し ま い