古典ギリシャ語4週間の本って4週間でやらなくていいよね?

 

私は現在,古典ギリシャ語を学んでいる。
使っている教科書は以下。4週間シリーズを買ったのは古典ギリシャ語が初めてなんだが,結構いい本だね。解説が詳しい。解説に用いる言葉は言語学者向けで難しいんだけど・・

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この本を買ったのっていつだったか?
こういう時に私はブログ書いておいてよかったと思う。
購入,勉強開始したのが2016年1月23日か。あれから20日近く経ったのか・・・。毎日よく飽きずにつづけているなぁ・・・


学習の進捗の方は,今4週間中2週間目をやっている。
2週目っていうと,代名詞,指示代名詞,再帰代名詞を初めて学ぶレベルの内容。

 

私は本を最初から順番に学ぶのがどうも合わない性格みたい。
私はまず本の全体を先に理解したいタイプ。たとえると,木を見ず森を見るタイプ。


だから,まず4週間中1,2週目のやや長めの文章をノートに書き写して、単語の意味をメモしまくって、通勤電車とか飲食店での注文待ち時間に何度もコツコツ読んでいる。


文法事項は後回しにして,とにかくたくさんの古典ギリシャ語を読んで古典ギリシャ語の「ことば」の作り方をどんどん頭にしみこませる。


自分の脳みそを食器を洗うスポンジに例えるとスポンジに水をしみこませる作業が多読,スポンジをぎゅーって握って水を出すのが,「忘れる」っていう行為。


人間の頭って,どんどん忘れるようにできていると思っている。一度見たり読んだものを全部覚えられる脳になってしまうと,過去の嫌な事まで覚えてしまうから私はお断りする。忘れることは幸せな人生を送る上では大切な能力だと思う。


でも古典ギリシャ語位は脳の中でずっと覚えていたい。そのためには何度もスポンジに水をしみこませる作業をすればいい。それは学校でのテストに向けての暗記作業の経験からすでにわかっている。


何度も読むうちに私の脳みそが,まるで水がたくさん含んだスポンジのようになる。文法事項なんて覚えていないけど,たくさん古典ギリシャ語を読むと「あれ?これは動詞っぽいなぁ。たしか動詞の語尾が~eteって二人称なんとかだったような・・」っていう「センス」がついてくる。


古典ギリシャ語に限らないんだけど,外国語を学ぶとこういう「センス」が身についてくる。この「センス」っていうのは言語化できない。教科書をよむだけではわからない感覚。


なんj民の大好きな野球でたとえるとホームランを打つためのバッティングに似ている。ホームランを打つためのバッティングフォームをすべて言語化して説明した教科書なんて存在しない。というか作れない。ホームランを打つためのバッティング方法が言語化できたら,本の内容を理解すればだれでもホームランが打てるよね?


でも、現実ではホームランを打てる人なんて一握りの人だけができること。一握りの人はホームランを打つための努力をした結果,ほかの人には決して理解することができない「センス」っていうのを身に着けている。これは言葉では説明できない。たくさん練習して体で覚えこむしかない。

 

その「体で覚える」っていう「センス」は語学でも共通していると思う。


たくさん外国語を読んでいくと,教科書では説明されていないような外国語に出会っても,「センス」で文章内容を理解できる!!っていうのはよくあること。


私は古典ギリシャ語以外にもたくさんの外国語を学んできた。その外国語でかかれたウイキペディアを読むこともある。確かにそのウイキペディアは母語の言語ではないからわからない単語がたくさんある。文章の意味ははっきり分からなくても,サラーって読んでみると,大体どんなことなのか頭でイメージできる。必要な情報がどこにあるかもなんとなく探せることもある。


たとえば「木」に関する説明があるウイキペディアのハングル版のサイトを以下に示す

나무 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전


ハングルを学んだ事の無い人にとっては文字が全部暗号,記号の羅列にしか見えないだろう。しかし私はハングルを学んでハングルを読むための「センス」を少し持っている。だからサラーっと読むと自然に以下のように脳で刺激される。

「개요(概要?)」
「나무의 과반수가 열대 지역에 분포해 있으며 ~(木の,何とかいう種類が・・・時?,チヨクっていうのが分布したならば~)」


所詮は母語でない言語だから日本語版と比べて内容を完全に理解できない。
でも,ハングルをさらーって見るだけで,何らかの意味が頭の中でぐるぐる回って何らかの解釈をする。それが語学上での「センス」だと思う。野球でいうホームランバッティングの方法と似ている。

 

古典ギリシャ語でも,その「センス」を身に着けることは大切だと思う。それは教科書には決して書かれない内容。


むろん,ギリシャ語4週間の教科書の文法説明が不要!!という訳ではない。文法があるからこそ外国の言語を早く理解できるんだよね。


でも「理解」する作業だけでは外国語を読めるようにならない。実際に理解した内容を使って古典ギリシャ語を読む練習をしないといつまでたっても「センス」は身につかない。

別の例でたとえると,会社でよくある新入社員研修。この研修ではパワポ説明で延々と語られて,聞くだけで眠くなるビジネスマナー,電話対応方法,仕事の指示の受け方等々・・・・・。こんなの聞くだけで完璧に仕事できるようになる?ならないよね?


たしかに研修で理解しないと,実際に職場に飛ばされたときにどうすればよいかわからなくてあたふたする。研修であらかじめ理解しておくとちょっとはスムーズに進む。


でも職場に飛ばされて最初のうちはわからないことだらけで困る経験が多いはず。だって実際の職場では研修で教わらないことの方が圧倒的に多いんだもん。


古典ギリシャ語でも同じ。教科書に書かれている文法の説明はあくまでも古典ギリシャ語を読むための「練習の練習」である。最低限これを理解すればとりあえず読み方はわかりますよ。んんwwww古典ギリシャ語原文の意味がわかるなんてありえないwwww


古典ギリシャ語4週間に限らず,ほかの古典ギリシャ語の本は文法説明を細かいステップで区切って,そのステップごとの最後に必ず練習問題がついている。この古典ギリシャ語を読むことで「読む練習」にはなる。こういう作業を積み重ねることで,文法説明では書かれていない「センス」を知らず知らずのうちに身につけれると思う。


ただ,「センス」が少ないと実際の古典ギリシャ語で書かれた本なんて読めないよね。会社でたとえるとピカピカ新入社員がいきなりベテラン社員の仕事を任せれると思う?ふつうは任せないよね?それと同じ。


実際の古典ギリシャ語文献を読むためには膨大な文法知識だけ詰め込んでもダメ。文法はあくまでも古典ギリシャ語を読むための「練習の練習」にすぎない。むしろ文法内容なんてサラーっと流して実際の古典ギリシャ語の文章構成さえ理解できればいい。


というわけで,古典ギリシャ語4週間の本の「4週間」っていうのは私は無視している。だって理解していない,「センス」がないのに先にどんどん進んでも,わからないことばかりぶち当たって眠くなるのがオチである。


私はどうも古典ギリシャ語の本をガンガン読み進めると眠くなる脳みそらしい。だったらもっとゆっくり進もうや!!って思って、まず教科書の1週目~2週目にある長めの古典ギリシャ語をノートに書いて通勤電車の中で必ず繰り返し読んでいる。


おかげで古典ギリシャ語の「センス」が身についてきたようで,教科書の1週目~2週目程度の内容ならすらすら理解できるようになった。練習問題の古典ギリシャ語例文も面白いように内容を理解できる。


そういう感動を味わえるのが語学の醍醐味であろう。


のんびりやったら古典ギリシャ語4週間の本を全部終えるのに一年以上かかるかもしれない。でも「頑張らない」で継続するほうが楽だし,苦しみを伴わず知らず知らずのうちに上達して楽しいと思う。


今思うと,私がハングル,中国語,ロシア語,ラテン語を学んでいたころはなんか「頑張って勉強し過ぎた」ように思う。一冊の外国語の本をハイペースで最後まで進めて,最初に戻る・・・のループで勉強していた。「よくわからなくて面白くない!!眠くなる」っていうのを我慢していた。頑張りすぎて外国語の力が急に伸びたんだけど,どこかで失速してしまった。


だからいろいろな外国語に乗り換えて学んでしまったのだと思う。多言語を学ぶこと自体が悪いとは思っていない。なんで一つの言語にずーっと夢中になれないのかな・・・って。


今は「艦これ」っていうゲームにはまっている。おかげで家にいるときは古典ギリシャ語なんて一日10分くらいしか勉強しなくなった。


でも毎日ちょっとだけ古典ギリシャ語に触れれば,日がたつにつれて読める古典ギリシャ語の幅が広がっていくのを実感できる。語学の最初の頃にありがちな現象なんだけど。


大切なのは「楽しい」ってこと。無理して古典ギリシャ語なんて続ける必要はない。古典ギリシャ語なんて知らなくたって生きていける。


古典ギリシャ語が「嫌」になったきっぱりやめよう!!古典ギリシャ語4週間の本なんて全部読み終わらせる義務なんて無いんだよ!!そういう軽い気持ちで古典ギリシャ語学習を続けていきたい。