【テトリス】下には下がいると考えよう

 

テトリスに限ったことではないが,ある分野を上達させるためには「井戸の中の蛙」にはなってはいけないと子供の頃から教えられたと思う。

要は「上には上がいる」と常に考え,謙虚になり努力を続ける人こそが頂点に立てるっていうやつね。


私はその考え方を否定しない。子供に対して「理想」ばかり見ないで,まずは「現実」を見ろ!!っていう観点からはね。


でもね,大人になるとどうも「現実」が見えすぎて「理想」が逆に見えなくなってしまう傾向にある気がする。何度も挫折を味わい,自分の思う通りに行かないのが世の中の常とわかってくると思う。それで自分の「理想」を殺していつも嫌な「現実」ばかりに目を向けてしまう。そんな人生楽しいか?

 

テトリスの話に戻る。
テトリスをネット環境から切り離して個人だけで楽しむなら別に「井戸の中の蛙」になったって問題ない。でも実際,今のテトリスはネット環境が盛んになってきたこともあり、ほかの人と競うのが当たり前っていうイメージになっている。


まるでほかの人に勝つためにテトリスをやっているっていう風潮がある。強くならないとだめ!!そのためにはたくさんテトリスしなさい。努力しないで強くなりたいなんて甘えんな!!!っていうのがガチテトラーだれもがテトリス初心者に対して思うことであろう。


確かに強い人を倒した時の快感は計り知れない。それは動物的な感情である。ほかの人に勝つっていうのは人間の本能であると思う。


しかし勝ち続けることができるのはごくわずかの人だけ。たいていの人はテトリストップ層の誰かによって蹴落とされている。それでも上を目指さないといかんのか?そんな「現実」ばかり見なきゃいけないのか?テトリストップ層に負けるという嫌な「現実」を打破するためにテトリスをやっているのか?テトリスのトップになるという「理想」を捨てなきゃいけないのか?

 

逆に考えよう。この記事を読むようなテトリスマニアの人は十分にテトリスは強いはず。記事を読んでいる人は,一般の人とテトリスしたら100%勝てる実力だと思う。それで充分じゃない?十分「強い」っていう「理想」はすでに叶っているのでは?

 

テトリスが強くなりすぎると上ばっかり見てしまって下を見なくなる。そんな時は一度立ち止まって下を見てみよう。下を見てみると,果てしなく長い。テトラーガチを名乗る人は,テトリス総人口の1%未満の実力に位置するんじゃないかな?すると残り99%の人には勝てるんだよ。それだけですごい事じゃないか?


「上には上がいる」という,こどもの頃から学校で洗脳され続けてきた言葉を一度疑ってみよう。逆に考えるんだ。「下に下がいる」と。自分の下には自分よりもテトリスが下手な人がものすんげぇたくさんいる。そんな人の上に立っているのが自分なんだよ。それがテトリスが強くなりたい人の「理想」じゃなかったの?

 

テトリスを始めたころは全然対人戦で勝てなくて「この人に勝ちたい!!」って思っていたと思う。どんどん強くなると正規分布の都合上,野良でやった場合勝つことが当たり前になってしまって天狗になる時期も現れるだろうけど,それでもたまに自分より強い人とあたって「上には上がいる」って考えると思う。この考え方をいったん立ち止まって後ろに振り替えてみよう。野良で勝つことが当たり前になってきたんじゃないの?それは最初にテトリスを始めたころの「人に勝ちたい!!」という気持ちがすでに実ったんじゃないの?

 

人間っていうのは,学校教育を受けたようにトッププレイヤーのような強い精神で生きる必要がない生き物なんだよ。そんなに頑張らなくていいんだよ。テトリスなんて頑張らなくていいんだよ。下を見て,自分のテトリス実力に満足しちゃってもいいんだYO

 

私も自分のテトリス実力にはもう満足している。これ以上強くなりたいっていう願望なんてなくなった。テトリスをやるのは,気分転換とか,「あー指うごかしてぇ・・・」って思ったときにちょいやる程度。まるでたまに部活にやってくるOBみたいな感じかな。


そういう「下には下がいる」という感覚でプレイしているから,私はTOPでは浦島太郎状態になっております。今日野良でグラフLPM70の人と当たったよ。すげぇ・・・TOJ時代はLPM50が最高だったのにぃ・・・・って驚かされることもある。だけど私は今の私のテトリス実力で満足しちゃっているから「悔しい!!勝ちたい」っていう気持ちすらわかなくなった。


のんびりマイペースでテトリスしようよ!!レッツ!!テトリス!!